結論から書きます。2026年10月1日から、労働者を1人でも雇用しているすべての事業主に、カスタマーハラスメント(以下「カスハラ」)を防止するための雇用管理上の措置を講じる義務が課されます。企業規模による猶予はありません。介護事業所も例外ではなく、むしろ利用者・家族との距離が近い業種として、真正面から対象になります。
根拠は、2025年6月4日に成立し同年6月11日に公布された「労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律等の一部を改正する法律」(令和7年法律第63号)です。何を整えればよいかは、厚生労働省が2026年2月に告示した指針(令和8年厚生労働省告示第51号)に示されています。
この記事では、介護現場に固有の難所——認知症の利用者による言動、家族からのサービス範囲外の要求、訪問先という密室——を踏まえて、10月1日までに何を整えるべきかを具体的に書きます。
この記事の内容
- 1. 何が義務になるのか——法律の骨格
- 2. 介護現場での当てはめ——どこが難しいか
- 3. 事業主が講ずべき措置——指針の骨格
- 4. 就業規則・ハラスメント防止規程に何を足すか
- 5. 契約解除との関係——カスハラ対策の出口
- 6. 違反した場合に何が起きるか
- 7. 10月1日までのチェックリスト
- よくある質問
1. 何が義務になるのか——法律の骨格
今回の改正は、既にパワーハラスメント防止措置を定めていた労働施策総合推進法に、カスハラ防止措置を新たに加えるものです。構造はパワハラ防止措置と同じで、事業主に「雇用管理上必要な措置」を義務づけ、具体的な中身は厚生労働大臣の指針に委ねる形になっています。
パワハラ防止措置が中小企業に猶予期間を置いたのとは異なり、今回は猶予がありません。施行日にはすべての事業主が義務を負っている状態になります。
カスハラの定義——三つの要素
指針は、次の三つの要素をすべて満たすものをカスハラと定義しています。
- 顧客、取引先、施設利用者その他の利害関係者が行う言動であること
- 社会通念上許容される範囲を超えた言動であること
- 労働者の就業環境が害されること
介護の文脈で重要なのは、第一要素に「施設利用者」が明示されている点です。利用者本人も、その家族も、いずれも対象に含まれます。
2. 介護現場での当てはめ——どこが難しいか
認知症の利用者による暴言・暴力
介護現場で最も判断に迷うのがここです。認知症の症状として生じる言動は、本人に「不当な要求」の意思があるわけではありません。指針の第二要素「社会通念上許容される範囲を超えた言動」に該当するか否かは、要求の内容と手段・態様の両面から判断されます。
実務上の答えは、二つに分けて考えることです。第一に、症状としての言動に対しては、ケアの方法で対応する。これはカスハラ対策ではなく、ケアプランと職員の技術の問題です。第二に、それでも職員の心身に負荷がかかる状況に対しては、事業主として職員を守る措置を講じる。担当を一人に固定しない、複数名で訪問する、記録を残して家族と共有するといった手当てがこれに当たります。症状だから仕方ないと放置することは、安全配慮義務の観点からも問題になります。
家族からの要求
サービス提供範囲を超える要求(同居家族分の家事、ペットの世話、買い物の代行など)を強く求められる、あるいは職員の交代を執拗に要求される、といった事例です。これは典型的なカスハラの類型に当たりうるものです。ただし、要求の内容が正当でも手段が不相当な場合と、要求そのものが不当な場合とで、対応が異なります。
訪問先という密室
訪問介護は、他の職員の目が届かない場所でサービスを提供します。何が起きたかを事後に証明することが困難で、職員が一人で抱え込みやすい構造です。相談窓口を置くだけでなく、報告しやすい導線を作ることが、施設サービス以上に重要になります。
3. 事業主が講ずべき措置——指針の骨格
指針は、パワハラ防止指針と同じ骨格で措置を求めています。大きく次の四つの柱に整理できます。
- 事業主の方針の明確化とその周知・啓発——カスハラを許さない方針を定め、職員に周知する。あわせて、利用者・家族にも事業所の方針を伝える
- 相談に応じ、適切に対応するための体制の整備——相談窓口を定め、担当者が適切に対応できるようにする
- 事後の迅速かつ適切な対応——事実確認、被害職員への配慮、行為者への対応、再発防止
- 併せて講ずべき措置——相談者のプライバシー保護、相談したことを理由とする不利益取扱いの禁止
指針の本文は告示として公表されています。上記は骨格の整理であり、実際の規程整備にあたっては告示の文言を直接確認してください。
4. 就業規則・ハラスメント防止規程に何を足すか
既にパワハラ・セクハラの防止規程を置いている事業所は多いはずです。その多くは「職場内」のハラスメントだけを対象にしています。今回、対象を「顧客等」に広げる改定が必要になります。検討すべき事項を挙げます。
- カスハラの定義を規程に置く(指針の三要素に沿う)
- 事業所としてカスハラを許容しない方針の宣言
- 相談窓口の設置と担当者の指定(外部窓口を含めるかどうか)
- 相談・報告を受けた後の対応手順(事実確認、記録、被害職員の保護、行為者・家族への対応)
- 相談したことを理由とする不利益取扱いの禁止
- 相談者・関係者のプライバシー保護
- 重大事案における対応(担当交代、複数名対応、サービス提供の見直し、契約解除の検討)
- 職員研修の実施と記録
就業規則の変更は、労働基準法第90条に基づき、労働者の過半数代表からの意見聴取を経て、労働基準監督署に届け出る必要があります。10月1日に間に合わせるには、意見聴取の日程を先に押さえてください。
5. 契約解除との関係——カスハラ対策の出口
カスハラ対策には出口が必要です。方針を掲げ、記録を残し、それでも改善しない場合に、サービス提供を終了できるのか。ここが整っていないと、職員は「結局、我慢するしかない」と受け取ります。
介護保険サービスには、正当な理由なくサービス提供を拒んではならないという運営基準上の制約があります(指定居宅サービス等の事業の人員、設備及び運営に関する基準)。したがって、カスハラを理由とする契約解除は、正当な理由の有無が問われます。利用契約書の解除条項、事前の警告と記録、他事業所への引継ぎの手配。これらを積み上げた上での解除であれば、正当な理由は認められやすくなります。逆に、記録も警告もなく突然打ち切れば、運営基準違反を問われる側に回ります。
6. 違反した場合に何が起きるか
措置義務に違反した場合、厚生労働大臣(実際には労働局)による報告徴求、助言、指導、勧告の対象となり、勧告に従わない場合は公表されることがあります。罰金のような刑事罰はありませんが、公表は介護事業者にとって重い制裁です。
それ以上に重いのは民事上のリスクです。職員がカスハラによって心身の健康を害した場合、事業主が必要な措置を講じていなかったことは、安全配慮義務違反(労働契約法第5条)として損害賠償請求の根拠になります。措置義務が法定されたことで、「何もしていなかった」ことの意味が変わります。
7. 10月1日までのチェックリスト
- 現行のハラスメント防止規程を確認し、対象が職場内に限定されていないか点検した
- カスハラの定義と方針を規程に追加する案を作成した
- 相談窓口と担当者を決めた
- 就業規則変更について過半数代表の意見聴取の日程を確定した
- 労働基準監督署への届出の準備をした
- 職員向け研修の日程を決めた(施行前に一度実施するのが望ましい)
- 利用者・家族向けの掲示・書面(事業所の方針を伝えるもの)を用意した
- 利用契約書の解除条項を確認した
- 報告・記録の様式を用意した
よくある質問
Q. 職員が5人しかいない小規模事業所も対象ですか。
A. 対象です。労働者を1人でも雇用していれば事業主に該当し、企業規模による猶予もありません。
Q. 認知症の利用者の暴言もカスハラとして扱わなければなりませんか。
A. 症状としての言動をカスハラと断ずることには慎重であるべきですが、職員を守る措置は別途必要です。ケアの方法で対応する部分と、職員の負荷を軽減する体制の部分を分けて整えることが現実的です。
Q. 家族からの過剰な要求を断ると、契約を切られて売上が落ちます。
A. 事業所の方針を事前に伝え、記録を残した上で対応すれば、多くの家族は理解します。それでも改善しない場合の対応手順を先に決めておくことが、職員の離職を防ぐという意味で経営上も合理的です。
Q. 外部の相談窓口を置く必要はありますか。
A. 法律上の必須要件ではありませんが、小規模事業所では内部窓口だけだと相談しづらいことがあります。顧問弁護士や社会保険労務士を窓口として指定する方法があります。
Q. 就業規則の変更が10月1日に間に合いません。
A. まず方針の周知と相談窓口の指定を先に行い、規程改定を追って完了させることは可能です。ただし、何もしない期間を作らないことが重要です。
参考資料(一次資料)
- 労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律等の一部を改正する法律(令和7年法律第63号、令和7年6月11日公布)
- 厚生労働省 カスタマーハラスメント対策に関する指針(令和8年厚生労働省告示第51号)
- 厚生労働省 都道府県労働局「職場におけるハラスメント対策は事業主の義務です」
- 労働基準法第90条(就業規則の作成手続)、労働契約法第5条(労働者の安全への配慮)
- 指定居宅サービス等の事業の人員、設備及び運営に関する基準(平成11年厚生省令第37号)
ご相談について
当事務所では、介護・障害福祉事業者の就業規則改定、ハラスメント防止規程の整備、利用契約書の見直しをお受けしています。施行日まで時間がありません。現行規程をお持ちいただければ、追加すべき事項を具体的にお示しします。
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