元職員の通報から監査が始まったとき——事業所がまず打つ手、打ってはいけない手

介護事業者向け

退職した職員が行政に通報し、それを端緒に監査が始まる。介護事業者にとって最も対応が難しい局面の一つです。感情的な衝撃が大きく、初動で誤りやすい。そして初動の誤りは、事案の評価を決定的に悪化させます。

この記事では、通報を端緒とする監査の特徴を整理した上で、最初の24時間、1週間、1か月で何をすべきか、そして何をしてはいけないかを時系列で書きます。とくに、通報者に対する法的措置を検討する場面では、公益通報者保護法との関係で慎重な判断が必要です。

この記事の内容

1. 通報を端緒とする監査の特徴

通報を端緒とする監査は、通常の運営指導とは性質が異なります。行政は、通報内容という具体的な疑いを持って来ます。運営指導マニュアルが示す「支援として行う」指導ではなく、介護保険法第76条等に基づく監査です。

さらに、通報者は元職員です。内部の事情を知っており、具体的な日時、利用者名、職員名、記録の所在を挙げて通報している可能性があります。行政の側は、通報内容と事業所の記録・説明を照合する形で確認を進めます。

ただし、通報内容がすべて真実であるとは限りません。退職の経緯に感情的な対立があれば、事実の誇張や誤認が混じることもあります。行政もそれを理解しており、通報内容をそのまま事実と認定するわけではありません。事業者側の説明と資料によって、事実は確定されます。

2. 最初の24時間——やること、やってはいけないこと

やること

  • 監査の通知内容を確認し、対象期間、対象サービス、求められている書類を把握する
  • 通報内容に関係する可能性のある記録(サービス提供記録、勤務表、賃金台帳、利用者台帳など)の所在を確認し、現状のまま保全する
  • 記録の保全とは、現状を変えないことである。整理、追記、差し替えをしない
  • 関係する現職員から、事実関係を聴取する。ただし聴取は事実の確認に限り、口裏合わせと受け取られる示唆をしない
  • 弁護士に連絡する

やってはいけないこと

  • 記録の追記・修正・差し替え——後日の記録と評価されれば、それ自体が不正の証拠になる
  • 職員に対する「こう答えるように」という指示——口裏合わせと評価されれば、組織的隠蔽になる
  • 通報者への直接の連絡——威圧、報復、口止めと受け取られる
  • 利用者・家族への根回し——同様に、証拠隠滅・偽証の働きかけと評価されうる
  • SNSや業界内での通報者に関する発言——名誉毀損の逆転リスク

最初の24時間で最も重要なのは、「何もしないこと」ではなく、「証拠に手を触れないこと」です。改善しようとする善意が、隠蔽と評価される。これが通報事案の最大の落とし穴です。

3. 最初の1週間——事実の整理

通報内容が推測できる場合、それに対応する事実を整理します。二つに分けます。

通報内容が事実無根である場合

客観的資料で埋めます。たとえば「サービス提供の実体がない」という通報であれば、サービス提供記録だけでなく、シフト表、業務連絡のメールやチャット、利用者宅の連絡ノート、車両の運行記録、他の利用者への訪問時刻との整合など、複数の資料で実体を示します。記録一枚ではなく、複数の資料が同じ事実を指していることが説得力になります。

通報内容に真実が含まれる場合

ここが最も判断を要します。事実の一部が真実である場合、隠蔽は最悪の結果を招きます。行政が通報内容を持っている以上、隠しても発覚する可能性が高く、発覚した場合は「知っていながら隠した」と評価されます。

正しい方向は、事実を正確に把握し、範囲を特定し、どう説明するかを設計することです。事実は認める。ただし、評価(不正か誤りか、組織的か個人的か)については事業者側の主張を組み立てる。この設計を、監査の応対前に行います。

4. 公益通報者保護法との関係——通報者への対応で最も注意すべきこと

通報者に対して法的措置を取りたい、という気持ちは理解できます。しかし、ここは最も慎重に判断すべき場面です。

公益通報者保護法は、労働者(退職後1年以内の元労働者を含む)が、一定の法令違反行為について、行政機関等に通報した場合、その通報を理由とする解雇・不利益取扱いを禁止し、また通報者に対する損害賠償請求を制限しています。介護保険法違反、高齢者虐待防止法違反は、同法の対象となる法令違反に含まれます。

重要なのは、通報内容が結果的に真実でなくても、通報者が「真実であると信じるに足りる相当の理由」を持っていれば、保護の対象となる点です。つまり、事業者から見て事実無根の通報であっても、通報者側に相当の理由があれば、その通報者に対する法的措置は違法と評価されうるのです。

名誉毀損・業務妨害を検討できる場面

通報者が、真実でないことを知りながら、あるいは相当の理由なく虚偽の事実を通報し、それを行政機関への通報にとどまらず、SNSや取引先、利用者・家族に広めているような場合には、名誉毀損・業務妨害としての法的措置を検討する余地があります。

検討してはならない場面

通報が行政機関に対してのみ行われ、通報内容に一定の根拠がある(通報者が真実と信じる理由がある)場合、法的措置は逆効果です。公益通報者保護法違反と評価されるリスクに加え、行政の側に「通報者への報復を図る事業者」という心証を与えます。監査の評価が悪化します。

結論として、通報者への法的措置は、監査の結果が出て事実が確定した後に、事実無根であることが客観的に明らかになった場合に限って検討すべきものです。監査の最中に着手することは、原則として避けるべきです。

5. 高齢者虐待防止法の通報義務との関係

通報内容が虐待に関するものである場合、別の視点が加わります。高齢者虐待防止法第21条は、養介護施設従事者等が、業務に従事する施設等において虐待を受けたと思われる高齢者を発見した場合、速やかに市町村に通報しなければならないと定めています。これは義務です。

つまり、元職員が虐待の疑いを通報した行為は、法律上の義務の履行である可能性があります。義務の履行に対して報復することの法的評価は、言うまでもありません。

6. 退職時の設計——次の事案を防ぐために

通報事案を経験した事業者が次に考えるべきは、退職時の手続の設計です。ただし、ここにも限界があります。

退職時に秘密保持契約を結ぶこと、業務上知った個人情報を持ち出さないことを確認することは適切です。しかし、秘密保持契約によって公益通報を禁止することはできません。公益通報者保護法上、通報を制限する合意は、通報者の保護を妨げるものとして効力を認められない可能性が高いからです。

退職時の設計で実効性があるのは、むしろ「通報される事実を作らない」方向です。退職面談で不満を聞き取り、記録の不備や運営上の問題があれば改善する。通報の動機は、多くの場合、退職に至る過程での対立と、それが放置されたことにあります。

よくある質問

Q. 退職した職員が虚偽の通報をしたようです。訴えられますか。

A. 監査の結果が出て、事実無根であることが客観的に確定した後でなければ、検討すべきではありません。通報者に相当の理由があれば公益通報者保護法の保護対象となり、法的措置は逆に違法と評価されるリスクがあります。

Q. 監査の前に、関係する記録を整理しておいたほうがよいですか。

A. 整理・追記・差し替えは、後日の作成と評価されれば不正の証拠になります。現状のまま保全してください。説明のための資料は、既存の記録とは別に用意します。

Q. 職員に「こう説明するように」と伝えるのは問題ですか。

A. 口裏合わせと評価されれば組織的隠蔽になります。事実を確認し、各人が自分の知る事実を述べる、という方針を共有するにとどめてください。

Q. 通報内容の一部は事実です。どうすべきですか。

A. 隠蔽は最悪の結果を招きます。事実を正確に把握し、範囲を特定し、評価(不正か誤りか)について事業者側の主張を組み立てて監査に臨みます。弁護士に早期に相談してください。

Q. 退職時に秘密保持契約を結べば通報を防げますか。

A. 公益通報を禁止する合意は効力を認められない可能性が高いです。個人情報の持ち出し禁止は適切ですが、通報そのものを契約で封じることはできません。

参考資料(一次資料)

  • 公益通報者保護法(平成16年法律第122号)
  • 高齢者虐待の防止、高齢者の養護者に対する支援等に関する法律第21条(養介護施設従事者等による高齢者虐待に係る通報等)
  • 介護保険法第76条(報告等)
  • 厚生労働省老健局 介護保険施設等に対する監査マニュアル(令和6年4月) https://www.mhlw.go.jp/content/12300000/001259199.pdf
  • 個人情報の保護に関する法律

ご相談について

通報を端緒とする監査は、初動が結果を決めます。監査の通知を受けた当日、あるいは通報の存在を知った時点でご連絡ください。証拠の保全、職員への聴取の方法、行政への説明の設計、通報者への対応方針を、一緒に組み立てます。

運営指導・監査・労務でお困りではありませんか

通知が届いた、指摘を受けた、返還を求められている、職員との間で問題が起きている。介護・障害福祉の現場で起きる問題は、制度と実務の両方を知らなければ対応できません。

札幌手稲ポプラの丘法律事務所は、弁護士として約17年の実務経験をもとに、札幌市・石狩市・小樽市の介護・障害福祉事業者の法務をお受けしています。就業規則の整備、運営指導への同席、返還請求への対応、処分に対する弁明まで。

準備が終わってから相談するのでは、間に合わないことが多いです。

お電話でのご相談
TEL 011-558-1763(平日9時〜18時)
札幌市手稲区手稲本町2条4丁目8-1 杉本ビル201 JR手稲駅南口から徒歩2分

トップへ戻る